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モテなかったあの頃の思い出

公開:平成20年4月29日 11:37:42 コメントはありません

「モテ期」というものがあるとするならば、私の最大のモテ期は高校時代の後半から大学時代の前半にかけてです。

しかしその前の中学時代は本当にモテなかった。普通に女子と話したりするのですが、バレンタインのチョコをもらったり告白されたりすることは一度もないまま終えました。

かと言って私が恋をしなかったのかと言うと、そうではありません。片想いだけど、恋をしていました。

中学2年の頃、私はバレーボール部の友人から背が高いという理由でバレーボール部に入らないかと勧誘を受けました。ちょうど体育の授業でバレーボールをしており、なかなか面白いと思っていた時期でもあって、私は一度見学に行っただけで入部を決めました。

基本的な私のポジションはバックライト。

残念ながらレギュラーではありませんでしたが、毎試合出させてはもらっていました。

毎日授業が終わった後の練習に励んでいたある日、いつものように部室で練習着に着替えてから体育館へ向かっていた途中、体育館の入口でバッシュの紐を結んでいた一人の女子が私の方を向いて笑顔で手を振ってきたのです。

その子はバスケ部に所属しており、なかなかの美人として男子にそこそこ人気がある子で、私とはごくたまに話す程度で親しい仲ではありませんでした。

そんなわけで、一瞬自分に手を振っているのかと思ったものの、いや違うだろうと思い直し、私は後ろを振り向きました。多分私の後ろにいる友達にでも手を振ったのだろうと考えて。

しかし振り向いた先には、誰の姿もありませんでした。もう一度その子の方を向くと、笑いながら私に手を振っています。

私はジェスチャーで「俺?」という仕草をしてみると、その子は「うん」とうなずきました。私は妙に照れくさくなりながらも、笑顔で手を振り返しました。

それだけのことだったのですが、私にはその子の意図が全くわかりませんでした。一体何故親しくもないのに手を振って来たのだろうか。もしかして自分に気があるのだろうか。

そんな考えがぐるぐると私の頭の中を回って、練習どころではありませんでした。体育館の半分はバレー部が使っていますが、中央に張られたネットを挟んでもう半分はバスケ部が使っており、当然その子もバスケの練習をしているのです。

その日以降、私はその子のことが気になって仕方なくなりました。まだ女の子と付き合ったこともない頃なのです。それだけのことで意識するようになり、気がついたら恋していました。

その子がどの方角へ帰宅するかは元々知っていました。時々私が帰るときに見かけたことがあったからです。

私は告白などしたことがなかったし、どうすればいいかもわからなかったのですが、思い切って想いを告げるべきだと考え、ある日勇気を振り絞ってその子が帰る時に通る道の途中で待つことにしました。

しかしその日に限って待てども待てどもその子は来ない。確かにその子より早く学校を出たはず・・・。

1時間ほど待っても来なかったため、もうダメだろうと諦めて帰ることにしました。ところが歩き始めて数秒後に、何とその子が目の前の角からいきなり現れたのです。

目があい、二人とも立ち止まりました。

「こんなところで何してるん?」

その子の第一声に、私は一瞬たじろぎました。さっきまでは告白する気が満々だったのですが、もう帰ろうと気が萎えた直後だったのです。もう告白する勇気はありませんでした。

私は友達の家にちょっと寄っていたと苦し紛れの嘘をついてしまいました。しかしその子はそれで納得したらしく、少し他愛もない話をしてからすぐにバイバイと手を振って行ってしまいました。

結局その後、その子に告白することなく卒業を迎えました。告白しそびれてからしばらくして、その子が私の友達の一人と付き合っているという噂を聞いたのが、諦めた原因のひとつです。

今となってはあのとき何故その子が私に手を振ったのかはわかりません。単なる気まぐれだったんでしょうが。

その後モテ期を挟み、私が初めて私から女性に告白したのは十年以上後のことになります・・・。

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日本平の歩道橋

公開:平成20年1月16日 22:22:34 コメントはありません

昔静岡に住んでいた頃、心霊スポットによく行ったものです。その中でも印象的なのが、日本平の歩道橋です。

確かこの辺りにあったと記憶しているのですが、周りには草木しかないのに何故か道路に歩道橋が架かっているのです。

この道路、清水日本平パークウェイは、今は知りませんが私が住んでいた当時は夜間は走り屋のメッカとなっており、麓までその音が聞こえてうるさかった記憶があります。

で、その歩道橋なのですが、本当に何もないし誰も利用しないようなところにあるため、怪談の類がまことしやかにささやかれていました。

昔親子でハイキングに来ていた家族が道路を渡ろうとしたところ、走り屋の車に巻き込まれて子供だけ死亡。それ以降走り屋による同地点での子供の霊の目撃例や事故が多発したため、子供の霊が道路をちゃんと渡れるようにと歩道橋を設置したところ、事故はなくなったとか。

まあそんな話はウソだろうとは思うのですが、当時周辺はボーイスカウトの野営地だったそうで、今は誰も使っていない鉄棒がポツンとあったり、古井戸があったりと、色々怖いものがそろっているようです。

ようです、と言うのは、鉄棒とか古井戸は見たことがないので・・・。ただ、この歩道橋付近のU字カーブの内側へは歩いて進入したことがあります。鉄柵で囲われて普通には入れなかったのですが、柵を乗り越えて入りました。満月の真夜中だったので若干周辺の視界はありましたが、結局何もありませんでした。ずっと進んでいったら民家?と馬小屋か牛小屋みたいなのがあったくらいで・・・。

歩道橋は、真夜中に渡りました。12人くらいで行ったのですが、みんなは遠くで待機し、男女2人ずつで歩いて歩道橋を往復してくるのです。

私は後輩の女の子と2人で行きました。道路の東側の階段から歩道橋に登って渡ります。結構揺れた記憶が。そして道路の西側の階段を降りましたが、草木が生い茂っていて地面まで降りることが出来なかったため、そこで引き返して東側の階段から降りて戻りました。

結局全員歩道橋を渡った時には何ら異変や違和感を感じなかったのですが、帰り道に偶然とは思えない出来事が。

私たちは現地に車3台で行き、帰りは私は先頭を走る先輩の車の助手席に乗っていました。しかし麓まで降り、近くのコンビニで後続車を待っていたのですが、一向に来ません。

私は「まさか事故ってないですよね」と笑いながら先輩に言ったのですが、直後に当時普及し始めたばかりの携帯電話が鳴り、2台目の先輩の車が単独事故を起こしたと連絡がありました。私たちは愕然とし、すぐに来た道を戻って2台目の事故現場に行きました。しかし、3台目の先輩の車が見あたりません。

しばらくするとまた携帯電話が鳴り、何と3台目も単独事故を起こしたというのです。

2台目はカーブを曲がり損ねて茂みに突っこんだものの自走可能な軽傷。しかし3台目はフロント部分がぺちゃんこになるほどの重傷でした。怪我人が出なかったのが奇跡というくらい。それは当然廃車になりました。

それ以来日本平の歩道橋に行くことはなくなりました。例え偶然にせよ、怖すぎる思い出です・・・。

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大学時代に弓道に没頭した思い出

公開:平成19年11月11日 11:44:45 コメントはありません

中高生が部活をする割合が増えているようです。

私は小学校から大学時代まで、一時期を除いて部活をしていました。特に大学時代の弓道には熱心でしたね。

前々から弓道には興味を持っていたのですが、高校まで弓道部が存在しなかったので出来ませんでした。大学に入ってようやく弓道部に入部し、初めて弓道というものに触れたわけです。

弓道部に入っても、すぐに弓で矢を射られるわけではありません。アーチェリーと違って、日本の弓はとても扱い方が難しいのです。アーチェリー感覚で素人が射れば、下手をすれば右耳がもげます。

初心者はまず、ゴムを使って弓を引く動作を真似し、正しい形と筋力を身につけます。

次に、矢をつがえていない弓を素手で引く練習をし、さらに正しい形と筋力を身につけます。

次に、”かけ”と呼ばれる弓を引くために必要なものを馬手(めて・右手のことを指す弓道用語)に装備し、再び矢をつがえていない弓を引く練習をします。初心者にはこの”かけ”をつけて弓を引くのが非常に難しいです。

そしてようやく、”巻藁”と呼ばれるものに向かって巻藁専用の”藁矢”を射る練習を始めます。巻藁には大体2メートル弱くらいの距離から藁矢を射ます。ここで、正しい形と筋力と、正しい射撃の仕方を学びます。

これらを3ヶ月ほど続けて、ようやく28メートル離れた的に向かって矢を射ることが許されるようになります。

弓道の弓はアーチェリーと違って命中率が著しく低いため、一般的な近的競技の場合は的中した矢の本数で勝敗を決します。従って、的のどこに当たろうが関係ありません。

的に向かって射ることを最初に許された新入部員は私でした。そりゃもう長年やりたかった弓道が出来るので、必死に練習しましたし。

それからさらに鬼のような練習を繰り返し、秋には高校からの経験者もふくめた1年生ではトップ、部内でも上位の実力を持つようにまでなりました。秋には大学対抗のリーグ戦があるのですが、そのレギュラーの座も獲得しましたし。

大学のリーグ戦は、男子の場合、8人がそれぞれ20本の矢を射た合計的中数で勝負します。で、私の大学は東海学生弓道連盟の2部リーグに属し(5部まであったかな?)、各大学の合計的中数は平均的に90?100くらいでした。

ちなみに1部リーグだと100?120、さらに最もレベルが高い東京都学生弓道連盟の1部リーグだと140くらいだったと記憶しています。

で、私個人の的中数は、大体平均して16?20でした。

私は3年生の頃まで部活動をしましたが、残念なことに結局1部リーグには昇格出来ませんでした。というか3年生の時には3部リーグに降格してしまいました・・・。実力があった先輩が引退してしまったのと、後輩の教育が思うように進まなかったことが敗因です。

しかし、リーグ戦とは違って、1年生と2年生のみが出場出来る新人戦では好成績をおさめることが出来ました。1年生の時は団体戦の大将を任され準優勝。2年生の時は個人戦で優勝しました。

とにかく必死で練習したので、私の弓手(ゆんで・左手のことを指す弓道用語)はボロボロでした。まだ下手だった頃に流血しながら練習していたので。でも、それくらいやったからこそ、結果がついてきたんだと思います。

私の人生で一番覇気があったのもあの頃だったと思います。時々後輩と遊んだりしますが、みんな私のことを「丸くなりましたよねー」と言います・・・。まあ確かに、あの頃は弓道の調子が悪いと裏で物にあたったりして悔しさと怒りを沈めていましたし・・・。

まあ、今となってはすごく良い思い出です。楽しかったこと、悔しかったことなど色んな思い出があの4年間に凝縮されています。部活動をやっていて本当に良かったですね。

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阪神大震災から12年

公開:平成19年1月17日 18:32:42 コメント 2 件

今日で阪神大震災から12年ですか。

神戸に比べて大阪の被害は軽微でしたが、それでもやはりメチャクチャ恐ろしい地震でした。

はっきり覚えているのですが、地震が来る直前にパッと目を覚まし、「何か来る!」と訳もわからず思った直後に大きな揺れが来ました。

幸いうちの被害は棚に飾ってあった陶器の置物がいくつか落ちて割れた程度で済みました。それでも、何度も来る余震と、その直前に聞こえてくるゴゴゴという地鳴りはものすごく怖かったです。

当時私は中学3年生で、地震に恐怖しながらも登校しました。登校する直前に見たニュースで死者200人と知り、これはえらいことになったと子供ながら思いました。

学校の校舎は数ヶ所コンクリートがひび割れていましたが、大きな被害もなく、通常通り授業が行われました。それでも余震が何度もあり、教師も生徒も常に緊張状態を強いられていました。

授業を終えて帰宅すると、ニュースで報じられている死者の数が2000人になっていて愕然としたのを覚えています。

うちは関西国際空港に近く、離発着する飛行機の音が夜になると時々聞こえるのですが、その音が地鳴りに似ていて、しばらくはその音を聞く度に地震かと恐怖したものです。

神戸市の住民の約3割が、既に阪神大震災を経験していない人々だそうです。

時間とともにああいうものは人々の記憶から風化していくものではありますが、少しでも長く語り継がれるといいですね。

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学生時代の悪さ 3

公開:平成18年8月5日 9:44:18 コメントはありません

ある深夜、大学の弓道部の部室があまりにも汚いということで、私と友人2人で掃除をすることにしました。

部室には各員の弓や矢筒、袴などが置かれているのですが、部室とは名ばかりで私たちの雀荘と化していたので、麻雀に必要なセットが一通りそろっていました。
また、壊れた弓具や卒業生が残していったノミまみれのソファなど、邪魔なものがたくさん。

これらが六畳だか八畳だかの狭い部室に押し込められているのです。

A「燃やそう」
友人の神奈川県民Aがボソッと言いました。

クラブハウスの横はちょうど各部がちょっとした邪魔なものを燃やすスペース(本来はキャンプファイヤー用だったと思われる)があり、そこで燃やしてしまおうと言うのです。

私と友人の愛知県民Mはすぐ同意し、部室にあった邪魔な小物を運び出してさっそく燃やし始めました。
ゴミどもはいい調子で燃えて灰になり、部室もどんどん綺麗になっていきます。

Mがあの一言を言うまでは。

M「あのソファも邪魔だからよぉ、燃やしちまおうぜ」

二人掛けの、卒業した先輩の遺物。
綺麗なら使いたいところですが、ノミまみれのソファに座ろうというつわものはさすがにいません。要するに、非常に邪魔だったのです。

A「まあ先輩もわかってくれるべ」
M「燃やせばノミも死滅すんだろ」
私「でもあれはさすがにまずいんとちゃう?」
A「何で?」
私「おっきいから、燃えすぎるかもせぇへんやん」
M「一応バケツに水入れて置いときゃいいだろ」

何でそんなに楽観的なんだ! と内心思いつつ、結局同意してしまいました。
早速、横幅2メートル近いソファを運び出し、炎の上に置きました・・・。

直後、ぶぉぉぉおおおおおお!!!!!!と、炎が高さ4メートルほどまで巻き上がったではありませんか! しかも真上には細い木の枝が!

私「ほら見てみぃ! 水! 水!」
M「や、やべぇ! バケツの水じゃ足んねぇ!」

あわててホースを探しましたが、炎から6メートルほど離れたところまでしか届かないホースしかありませんでした。
やむなくそこから放水活動を開始。
真上の木の枝に燃え移ったら、確実にクラブハウスが全焼です。

3人とも我を忘れて消火。私はホースで、Mはバケツで、Aは他に何もなかったのかと言いたくなるほど小さなコップで・・・。
冷静ならAはもっと効率的な容器を探してきたはずなので、彼の狼狽ぶりがうかがえます・・・。

それでも何とか炎の拡大を阻止し、ソファは燃え尽きて鎮火しました。
白い煙を立てて消えゆく炎を見つめながら、もはや二度と火遊びはするまいと誓ったのは言うまでもありません・・・。

それにしても、誰もいない深夜で本当に良かった。
昼間だったら大騒ぎになり、消防車が呼ばれ、私らが停学処分になっていた可能性が大いにありました(汗

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学生時代の悪さ 2

公開:平成18年8月3日 15:07:12 コメントはありません

うちの高校には、非常に立派で広大な庭園がありました。
掃除や手入れは全て業者がやるので、見ているだけで和める空間です。

ところが、生徒は一切の立入を禁じられていました。意味ないやん。

しかし、禁じられればやりたくなるのが心情ってもんです。
私のクラスはちょうど一階で、その立派な庭園との間には窓を一枚隔てただけ。その気になれば簡単に行き来出来るわけです。

しかもちょうど私の教室の横の部分はちょっとしたスペースになっていて、紙を丸めたボールを手で打つ野球まがいのことをやるのにもってこい。

しかし休憩時間もたまに教師が教室にふらりとやってくることもあり、見つかる危険性も大。

そこで、私たちは斥候を廊下などに配置することにしました。
また、敵(教師)を発見した場合に備え、教室の窓を一気に突破出来るようにする踏み台も庭園側に配備。

斥候が敵を発見した場合、まず斥候は口笛を吹きます。
すると庭園に面する教室の窓に配された兵が「退避ー!」と叫びます。
すると庭園にいたやつらは全速力で窓を突破し、何事もなかったように教室内で遊ぶわけです。

時々暇な斥候が、敵が来ていないのに口笛を吹くこともあり、これを「演習」と呼んでいました。
演習の成果もあり、各員迅速な退避行動を取れるようになり、一度も敵に見つかることはありませんでした・・・。

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学生時代の悪さ 1

公開:平成18年7月31日 14:02:47 コメントはありません

学生の頃は色々悪さをするもんですが、高校3年の頃の私のクラスは異常だったと思います。

男子校なので華やかさの欠片すらなく、夏など20代前半の若い女教師が教室に入るのをためらうくらいの男の熱気に満ちた環境。

そんな教室でささやかな流行だったのが、授業中の料理でした。
無論家庭科ではなく、4時限目(昼休み直前)の数学3の授業で実行されていました。

数学3の教師は起きているのか寝ているのかわからないほど常に朦朧としたオーラを発しながら、一体何を言っているのかわからない声で授業を推し進めるため、誰一人授業を聴いていないという有様でした。
授業を聴きたいのに聴けない人も多数いたでしょう。

そこで大半の生徒は授業中であるのに独学状態で、私をふくめた少数の生徒は料理にいそしむわけです。

まずメニューを決め、材料は各自が分担して私費を投入して持ってきます。
大半は手軽なものでしたが、一番手間をかけたのはカレーライスだったと記憶しています。

一応携帯用コンロだけは誰かが用意し、材料は事前に洗浄しておいたカッターナイフを包丁代わりに、下敷きをまな板代わりに切ります。

それらの材料を煮込む役は、一番窓側で一番後ろの席だった私。
とりあえずカーテンで不自然な囲いを作り、においをなるべく外へ逃がしながら煮込み具合を確認するのです。

ちなみに鍋は、学校が昼休みに出してくれるお茶を入れるヤカンです・・・。

ここまでしているのに、気づいているのかいないのかわかりませんが、数学3の教師は淡々とマイペースに何やら授業らしきものを進めているだけです・・・。

こうして出来上がったカレーは、調理したみんなの弁当のご飯にぶっかけられて食べられるわけです。
味は・・・まあまあだったかな?

ちなみに、こんなバカやってたやつに限って、全員現役で志望大学に合格していました・・・。

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恋はある意味疲れる

公開:平成18年5月20日 13:25:09 コメントはありません

テレビ番組で、初恋の人を捜してくれる大阪の会社のことが紹介されていました。
依頼者の年齢層は幅広く、最近では戦争で消息が途絶えた初恋のあの人を捜して欲しいというような依頼が全国からあるそうです。

手がかりは皆無に近くても、可能な限り調査します。無論、残念な結果に終わることも少なくはありません。
本当に行方がわからない場合、相手が亡くなっていた場合、相手が依頼者に会うのを拒否する場合などです。

私の初恋は結構遅くて、高校生になってからでした。
それまではまだ胸が痛くなるほど人を好きになったことがなかったのですが、ある女子高の学園祭に友人に誘われてついて行き、その友人の知り合いの女の子がいる教室がやっていた軽食屋でわらび餅を食べていたとき、友人の知り合いの女の子の友達(ややこしい)に一目惚れされたのが切っ掛けでした。

その後別行動でその子と二人で話したりしたんですが、私もすぐに胸が痛いほど好きになってしまい、何も考えられなくなってしまいました。
まあ結局長続きせず、3ヶ月で別れてしまいましたが。

他にも色々と恋をしましたが、やはり初恋のインパクトは大きいですね。学園祭に行ったあの日の情景を詳細に覚えています。

今その子に会いたいかと問われれば、私は否です。
別れた相手と連絡を取り続ける人もいれば、別れたらそれっきり連絡を取らなくなる人もおり、私は後者です。会ったとしても何だか気まずいと思うんですが・・・。

連絡を断つ私にも唯一例外がいます。これは積極的に連絡を取るわけではありませんが、大学時代同棲していた相手で、同じ部活だったので、そこのOB・OGが集まる年一回くらいのペースで顔を合わせています。

その子は現在結婚しており、相手も同じ部活の私の後輩なのです。
つまりOB・OGが集まる飲み会にはその子は夫婦で来て、しかもその二人とも私は知っているのでお互いすんごく気まずいです。

なるべく距離を置いて周囲も気を使ってくれてはいるのですが、それほど大人数でもないし、無視ばかりしていては場の雰囲気も悪くなるので必然的に会話せざるを得ない状況にもなります。
そういうときはもの凄くしんどいです。ほんとに。

別に私と元彼女が別れた原因に後輩は全く関係ないのですが、それでも気を使いますからね・・・。

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ペットの死は悲しい

公開:平成18年3月10日 14:20:45 コメントはありません

幼稚園の頃、近所に捨てられていたメスのスピッツ(多少他の血が入っています)を拾いました。
白と茶色のスピッツが2匹いたのですが、茶色の方を選びました。母が、1匹しか認めてくれなかったからです。

恐らく姉妹だったのかも知れませんが、今となっては知るよしもありません。
拾った当時はまだ子供だったと思いますが、無論正確な年齢もわかりません。

特に芸を教えるわけでもなく、食事を与える前のお座りと、家の中でオシッコをしてはいけないということだけを教えました。

あの子はとても優しい犬で、決して他人に噛みついたり吠えかけたりしませんでした。
そして、二件隣のオスの飼い犬ととても仲が良く、散歩道で会うと人目もはばからずに性交しようとしました。

散歩に行くときはいつも「行くか」と声をかけていたので、いつしかその声だけで散歩に行くんだということを理解し、その場でグルグル回って喜びを表現したものです。
そして、試しに声に出さずに口を「行くか」と動かしただけでも、散歩だということを理解するようになりました。
犬だって読唇術が出来るんです。

しかし年月が過ぎると老いが目立つようになってきました。

体調もよく壊しましたが、一番酷かったのが子宮に膿がたまる病気になったときでした。
子宮の摘出手術をして何とか助かりましたが、それ以降さらに弱ったように思えます。

昔は散歩に行くときに大はしゃぎしていたのに、老いてからは"小はしゃぎ"程度になり、さらにそれで咳き込んで動けなくなるほどでした。

大学受験の試験地の下見のために東京へ出かけて、三日後に帰ってきたとき、あの子は死んでいました。
一応老衰ということで、天寿を全う出来たことだけが慰めですが、とても悲しかったです。
私が拾った時に1歳だったとして、17年の生涯でした。犬としてはそれなりに長生きした方だと思います。

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鍋パーティー

公開:平成18年1月27日 18:08:23 コメントはありません

京都大学生が”鍋パーティー”で女の子を酔わせて集団強姦していたそうな。
酔わせて犯るのは論外だし、それ以前にお互いの同意なしに犯るなんて許せません。

それはそうと、酔ってエッチをしようにもなかなか勃たないと思うんですけどね・・・。

大学の頃、部活の飲み会である女の先輩と席で二人だけになり、二人でしこたま飲んでしまい、お開きになった後も何故か楽しくてずっと飲んでたんです。
気がついたら何故か見知らぬ場所でその先輩が私の上に全裸でまたがっていたというのがありました。

その先輩は可愛いし性格も合うので最高のシチュエーションのはずなんですが、それよりも酔いと眠気が強くてなかなか勃たせることが出来ませんでした。
もういいから寝かせてって。
それでも逆にそのまま寝ちゃうのは失礼だろうから、必死に自分に鞭打って最後まで行きましたが・・・。

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