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東京と大阪、江戸と大坂

2010/07/10

一昨日の夜から東京へ行っていました。今年もう3回目かな。
9月にも行くかもしれません。多分横浜だけど。

相変わらず東京は道がわかりにくいですね。大阪と違って放射線状、環状線状に道路が広がっているので、すぐに自分の居場所を見失ってしまいます。地図もナビもないので助手席に座る横浜の友人の怪しい記憶頼りでしたが、まあ多少迷ったくらいで何とかなりました。

渋谷などに行ってみて、やっぱり大阪などとは比べものにならないと考えを改めました。梅田や心斎橋もたいがい人は多いですが、渋谷に比較すると集中度でやはり劣りますね。

品川の方でも次々とタワーマンションが建設され、「こりゃまだまだ人口は増えそうだなぁ」と実感。最近は大阪の中之島などにもタワーマンションが建ってきてはいますが、数が全然違います。

東京特別区の人口は増加傾向にあり、現在約840万人。一方大阪市の人口は停滞もしくは減少傾向にあり、現在約263万人。
ちなみにこれは常住人口で、昼間の流入人口をふくめると東京特別区で約1100万人、大阪市で約360万人だそうです。

これだけ見ると東京と大阪はとんでもない格差があって、比較すること自体笑ってしまいます。
しかし大阪の場合、大阪府全域に人口が散らばっているという特徴があります。

東京都の人口は約1260万人で、大阪府の人口は約880万人。東京都は人口の約66%が特別区内に集中していますが、大阪府は逆に人口の約70%が大阪市外に散らばっています。

大阪府は日本で2番目に狭い都道府県です(関西空港が出来る前は日本一狭かったそうです)。現在1番狭いのは香川県です。
で、そんな狭さにもかかわらず、人口20万人以上の市が日本一多いそうです。
つまり、東京は都心の一極集中型都市であるに対して、大阪は郊外に人口が散らばるドーナツ型都市であるわけです。

この前、「神奈川県の人口が大阪府を抜いたから、これで日本第2の都市は神奈川だな」と横浜の友人に言われました。
あくまで人口の問題で言えば神奈川が第2の都市ですが、友人は経済的な面もふくめて第2の都市と言ったようです。

しかし残念ながら、これは違います。

極端なことを言えば、神奈川県や埼玉県は、東京都の付属でしかありません。あくまでも東京経済圏の一部であり、独立した都市としては見ることが出来ません。
事実、横浜市を見ても昼間の人口は常住人口を下回っています。これは横浜市に働きに来る人よりも、横浜市から働きに出ていく人の方が多いことを意味しています。出て行く人の大半は、恐らく東京へ行っているのでしょう。つまり、横浜はひとつの経済圏の中心ではないということなのです。

こういう面から見ると、同じように兵庫県や京都府も大阪経済圏の一部であるし、岐阜県や三重県も名古屋経済圏の一部であり、やはり独立した都市ではないのです。

したがって、たとえ埼玉県の人口も大阪府や愛知県を上回ったとしても、埼玉県が東京経済圏の一部である限り、第2の都市第3の都市とは言えないのです。
これは私が大阪人で、大阪の第2の都市という地位を必死に主張しているわけではなく、国際的な見方に従ったまでのことなのです。

国際的には人口や経済では横浜やさいたまは東京として扱われますし、神戸や京都も大阪として扱われます。
恐らく日本の行政単位が細かすぎるせいなのかもしれません。

しかしいずれにせよ、現在大阪経済が回復傾向にあるものの停滞している事実は否めません。
東京経済は再開発などが進んで大阪との格差を広げる一方ですし、名古屋経済も確実に前進しています。

交通や情報の面などもふくめて今はまだ大阪が第2の都市の地位を保っているとは思いますが、このままでは東京と競争するどころか名古屋に抜き去られてもおかしくありません。
大阪市や大阪府は、本当に気合いを入れて抜本的な大手術を慣行する必要があるでしょう。それだけに、私は大阪市民ではなくて大阪府民ではありますが、大阪市の汚職問題などが本当に許せません・・・。

ところで、明治維新後、日本では大久保利通が大坂遷都論を主張していました。
当時紛れもなく日本最大の経済力を持った大都市が大坂であり、京都にも近く、新政府のイメージを一新する意味でも大坂への遷都が必要だと大久保利通は考えたようです。

一方で、前島密が江戸遷都論を主張していました。
彼は蝦夷地を完全に日本の領土化するには京都や大坂よりも江戸の方が良いこと、多くの藩邸などが残っていて新たに政府の施設を建造する必要がないこと、江戸に遷都しなければ江戸が廃れることなどを理由に挙げています。

江戸時代、人口100万と言われた江戸でしたが、維新後は江戸に出て来ていた武士たちが次々と故郷へ帰り、武士を相手に商売していた人々も江戸の行く末を見限って、人口は50万程度まで落ち込んでいたそうです。
短期間で人口が半減したため、「このままでは江戸が廃れてしまう」との危機感を抱くのは無理もありません。

結局、大坂は別に首都ではなくても大丈夫だろうということで、江戸を東京と改称し、東京への遷都となりました(遷都の勅令が出たわけではないので、現在でも京都が首都だという説もあります)。
また、東京府、大阪府、京都府を設置し、これら三府は首都、または首都の代替都市という位置づけとなりました。この中でも東京を東の首都、京都を西の首都という考え方がなされていたようです。

その後大阪は順調に経済発展を遂げ、大正時代までは日本最大、世界6番目の経済産業都市でした。

ところが昭和初期に帝国政府が戦時体制の一環として東京府と東京市を解体して東京都とし、あらゆるものを東京に集中させるようになってから大阪の凋落が始まります。
決定的となったのは、軽工業から重工業への転換が遅れたことでしょうが。

大坂は大丈夫だろう、として江戸への遷都を決めた明治政府の高官たちは現在の大阪を見てなんと思うでしょうか。まあ、あのとき大坂へ遷都していれば、それこそ江戸は単なる地方の小都市に成り下がっていたでしょうが・・・。

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-コラム