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蓼科温泉へ旅行 2日目

2010/07/08

いつもそうですが、私たちの旅行は極めて無計画です。
今回も初日こそバーベキューをして蓼科温泉のホテルアンビエント蓼科コテージに泊まることは決まっていましたが、2日目の予定は皆無。

2日目の朝9時頃目を覚まし、残り物のカレーライスやカレー焼きそばで腹を満たし、さてどうしようかと話し合い。

と言っても私と名古屋の先輩と神奈川・埼玉組をアリストで連れてきた友人の3人で全て決定します。

その結果、3人とも歴史好きなので戦国武将として名高い真田一族ゆかりの地である松代観光ということが決定しました。

静岡組は所用があるということで帰り、ラブ4を除いたニュービートル、アリスト*2、インプレッサで移動開始。

上信越自動車道を走って長野インターで降り、真田宝物館の近くの駐車場に止めてすぐそこにあったそば屋へ。
名物という辛味大根おろしのざるそばを頼んだのですが、これがまあ辛くて辛くて。それでも非常に美味かったです。

腹を満たしてからさらに詳細な予定を決定し、真田宝物館等を見学。
一応知らない人のために補足しておきますが、真田一族で一番有名なのは、恐らく真田信繁(幸村)です。

信濃の豪族であった真田氏は、真田幸隆の代に武田晴信に臣従。幸隆の才能は武田晴信に高く評価され、厚遇されます。

その後武田信玄が病死するとそのまま武田勝頼に仕えますが、間もなく幸隆が死去。しかし長男と次男が長篠の戦いで戦死したため、三男の昌幸が家督を継ぎます。

真田氏は織田軍と徳川軍の攻勢で滅亡した武田氏から独立しますが、間もなく徳川氏、北条氏、上杉氏による信濃侵攻に晒され、北条氏についたり、徳川氏についたり、上杉氏についたりして生き抜きます。

相次ぐ大大名による侵攻を退けた真田氏の名は上がり、その後昌幸の次男である信繁(幸村)が豊臣秀吉の人質となって豊臣氏に臣従することになります。

やがて秀吉が死去して徳川家康が実権を握るようになると当初はそれに従うものの、石田三成の挙兵に応じて昌幸と信繁は西軍につき、信濃の地で江戸から出征してきた徳川秀忠の大軍を迎撃。結果的に秀忠を関ヶ原に間に合わせませんでした。

関ヶ原の戦いによって西軍が敗れると、昌幸と信繁は死罪となりましたが、東軍側についていた昌幸の長男である信幸の助命嘆願によって死罪は免れました。

その後大坂の役では真田信繁が大坂城の出城である真田丸を築いて幕府軍を大いに苦しめ、信繁の名は幸村として現代にまで知れ渡っています。

戦国時代にはよくあったことですが、真田氏も親族間で東西両陣営に分かれて家の存続を図り、結果的に信繁の兄である信幸が松代の地に真田氏を存続させ、明治維新まで松代藩十万石は続くことになります。

一般的に真田信繁と言ってもほとんど誰も知りませんが、真田幸村と言うと知っている人も多いと思います。
幸村という名前を信繁が使ったことはないし、周囲がそう呼んだこともありません。何故幸村になったのかは謎です。

真田一族の次は、時代も変わって象山地下壕の観光へ。
象山地下壕は、かつて大日本帝国が大東亜戦争末期に日本人や朝鮮人約1万人を動員して掘らせたものです。

当時戦況は帝国軍に著しく不利であり、帝国陸軍では本土決戦も辞さない構えでした。しかし、帝都東京は防衛には相応しくない地にあります。
そこで、大本営や皇居を松代に移転させようという計画が持ち上がったのです。

長大な地下道を碁盤目状に掘り進め、完全な地下都市の建設が始まったのです。
しかし地下道を掘っている最中に終戦を迎え、現在はそのうち500メートルほどの部分が一般公開されています。また、一部は信州大学や気象庁が宇宙線や地震の観測施設として有効利用しています。

地下壕内部には、これといった展示物などはありません。ちょっとがっかりしました。
大勢の労働者が事故で死んだとも言われていますが、根拠は薄いそうです。

一般公開されている最深部には、大阪などの小学校から贈られた千羽鶴などがフェンスに引っかけられていました。
「折り鶴をつるしたりしないでください」と注意書きされているのですが・・・。

地下壕を出て駐車場に戻り、ちょうど時間もよかったので今回の集まりは解散となりました。

しかし、名古屋の先輩が「ちょっと川中島だけ見に行かせてくれ」と言うので、私と愛知組数人だけでさらに八幡原史跡公園へ。
第四次川中島の戦いで有名な、刀を馬上から振り下ろそうとする上杉謙信と、軍配でそれを防ごうとする武田信玄の銅像が置かれていました。まあ、それだけなんですが。

そして帰路に。
途中夕飯を食べたりしながら、中央道、名神高速、阪神高速を走って帰宅。

帰宅直後に横浜の友人に「今帰ったよ」とメールを送ると、「俺より早いとはどういうことだ」と返ってきました。
どうやら横浜方面は大渋滞で、結果的に大阪へ行くのより時間がかかってしまったそうでした・・・。

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